cactus reviewed Satoyama to iu monogatari by Masami Yūki
遅効性の衝撃
4 stars
Content warning ややネタバレ(里山という物語)
イメージ曲:town(まももP)
昔体調を崩して、深夜まで眠れなかったことがある。気を紛らわすために、テレビを付けると、NHKの「ニッポンの里山 ふるさとの絶景に出会う旅」という番組が流れていた。 清らかな水、日の当たる田んぼ、受け継がれてきた文化。今まで気づかなかった「里山」の魅力に、惹きつけられた。その時の原体験が将来の環境問題への関心につながっているのかもしれない。 里山、という言葉は、今評者達の中に広く浸透し、海外に向けて「SATOYAMA」なる言葉もできている。環境関連の政策でも「里山」という言葉が出てくることもある。 「里山」というと、何の気無しにイイカンジがするが、ちょっと待てよ、と立ち止まるのが、人文学を研究する人々なのかもしれない。 彼らによると、「里山」に関する研究は、自然科学によるもののほうが多く、「里山」という概念の奥にあるものはあまり研究されてこなかったという。 その「里山」について、歴史的な背景や、そもそも「里山」とはなにか……といったことを、様々な人文学研究者が紐解いていくのが本書である。
本書でも度々登場する今森光彦さんは、現在の多くの方が思い浮かべるような意味、政策などにも用いられるような意味で、最初に「里山」という言葉を使った写真家。元々昆虫写真家だった彼は、人の手が入った自然(山、田畑、集落その他)や、そこに息づく昆虫を美しく捉え、「里山ブーム」の火付け役になったそうだ。 実は、「ニッポンの里山」の制作に関わっているのも彼で、「ニッポンの里山」を始めとする彼の作品の特徴を列挙する部分(カティ・リンドストロムさんの章)では、「ああ、あるあるだ」と思わずにはいられなかった。 そして、悲しいことに(?)、これらの作品をどこか冷めた目で見つめるような自分が出来上がってしまった。
そして、「里山」という言葉には、少なからず、実際の歴史とは異なる、幻想的な部分が存在すると本書では通して指摘される。環境関連のことを学ぶ過程では、評者は「里山」なるものについて、キラキラした眼差しを持っていたが、それも、これからは無くなっていきそうだ。鈍器で殴られたような衝撃はなかったが、評者にとって、これらの指摘は遅効性の衝撃のようである。
ただ、それは悪いことばかりではないと思う。研究の種は、皆が通り過ぎるもの、そのまま受け止めるものについて、立ち止まって疑問を持つことからも始まる。それが、最終的には、より良いものへと還元されることもある。 今後も、学際的な分野としての「環境人文学」に注目していきたい。